先日、本当に何年かぶりに、時間を気にせずゆっくりとお喋りすることができました。相手は古くから交友のある女性シンガーソングライターのMさん。深い話からおバカな話まで、話題はまったく尽きません。
私が話すことに夢中になっていると、彼女が一言、「いや〜、『生きているって感じだ』、裕次郎だね〜」そう、そう、そうでした。その昔、どん底でもがいていた頃に見た変な夢を、彼女に話したことがあったのです。彼女はちゃんとそのことを覚えていて、現在の私の前に呼び起こしたのです。
突然、石原裕次郎が夢に出て来て、右手でポーズをつけながら、「今の君は、まさに、生きているって感じだ」と、低い声で私に言ったのです。私は別に石原裕次郎ファンというわけではありませんが、その時の裕次郎のポーズと言葉のかっこうよさは、かなりのものでした。
フロイトやユングになったつもりであれこれと夢の理由を詮索すれば、自分の苦労を、大物である誰かに認めて欲しかったのだろうということに思い当たりました。実は当時、ようやく「生きている」という実感をつかみかけた頃だったのです。
裕次郎の夢は長年すっかり忘れていましたが、「生きている」という実感は今も続いています。自分でいうのも何ですが、私は懸命に生きているのです。なのに、なぜでしょう。最近になって、やたらとまわりの人に言われるのです。
「さとちゃんって何だか、おっかしくっていいんだよね〜」
「落合さん、間抜けな感じがいいですネェ」
「ほんまにオマエは、すかたんやなあ」
すべて愛のこもった御言葉だということは、重々承知しております。それでもやっぱり、時々でいいから褒められたいのです。
裕次郎さま〜、夢でもう一度。ねっ、お願いしま〜す。