いつものように車で出かけたわけですが、
滅多にしまらない山口線の踏切で、ひっかかってしまいました。
どうせ乗客は数人だろうと思っていたら、
二両のディーゼル列車は、ほぼ満席。
ボックス席のお客さんは、缶ジュースを窓際に置いて旅気分。
そうでした、世間は、まだまだお盆休みでした。
お盆がやってくる、少し前のこと。
家族のように親しくしていた、とあるお爺ちゃんが
お空の向こうに旅立ち、最後のお見送りをしました。
亡くなってから、その日を迎えるまでのすべてが、
他では、体験したことも聞いたこともない、
形式や儀式や一般常識に一切こだわらないものでした。
それは、喪主である長男さんの考えがあってのこと。
大切はのは「想い」。
そう書くと、なんだか、わざとらしい感じがしますが、
華美ではなく、葬式仏教とは無縁の、
シンプルな、でも、大事なところはきちんと押さえた
素晴らしいお見送りでした。
お爺ちゃんの顔は、他では見たこともないような「寝顔」でした。
よく「眠っているような顔だった」ということを言いますが、
レベルが全く違うのです。
おだやかすぎて、涙の出る幕がありませんでした。
それも、喪主が葬儀屋さんに機転をきかせたお願いをしたからこそ。
他、あまり詳しくはここでは触れませんが、
私も、集まった人たちも、詳しい話を聞いた人たちも、
「自分の最期も、こうゆう風にして欲しい!」
みんな、そう思うのでした。
お爺ちゃんが、私に度々言ってたコトバ。
「一緒のお墓に入ろうや」
この口説き文句に「考えとくわぁ」と私。
どっちにしても、私は当分こちらにいるので、
返事はまだまだ保留でね。