ちょっと面白い夢を見ました。前後の流れはどうでもよいので割愛しますが、そこは、どうやら少し先の時代のようで、お札を一枚受け取る機会がありました。
手にしたお札は、大きさ、紙の質感、色合い、手触りなどは、私が知っているお札と同じで、今のお札と同じように、外枠のような絵も書いてありました。ところが…歴史上の人物どころか、肝心な金額が、書いていないのです。
どうやら「いくらとしてでも」使えるようで、実際に使う時に「いくら」と自己申告して渡せば良いようです。小切手のように金額を記入する必要もありません。
大事なのは、その使う行為や使う人に「愛」みたいなものがあるかどうかで、「愛」がないと、使えないようでした。
お金のあり方が、今とは全く違います。でもこんな世界になったらいいな。
さとこの意見を一つ。「愛」をテーマにしたお札なら、今のお札の色合いよりも、もう少し温かみのある色合いがいいなぁ。夜明け前の、薄桃色のような。