介護犬

寒くなってきました。お気に入りの真緑の湯たんぽが手放せません。
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私には創作の師匠がいます。筆が立つのと同じくらいに口が達者で、いつも私をボロかすに言います。その師匠が珍しく、古い友人に説教をされたのです。しかも、内容がものすごく私に都合のよいものでした。
「今のお前があるのは、落合さんの御陰なんだぞ。お前は、介護犬の話を知らんのか?」「なんのこっちゃ?」
とある老人ホームが、海外の有名な介護犬訓練センターから、決して安くはない価格で一頭の介護犬を購入しました。ホームの誰もがその犬の優秀さを大いに期待しました。けれども、その犬は、空気が読めず、まわりに無頓着、無関心で、老人が困っていても、寝ているだけで何の助けもできません。
「どうもこれはおかしい、何かのまちがいだ」ということで、訓練センターにクレームをつけると、係員が調査に来ましたが、ひととおり犬の様子を見たあと「問題ありません」と言い残して、さっさと国に帰ってしまったのです。老人ホームでは、「高い買物をしてしまった。」「騙されたのかもしれない」と後悔したものの、後の祭りと諦めるしかありませんでした。ニーズにあった仕事ができないだけで、犬に罪があるわけではありません。
老人たちは、自らの境遇と重ねて、犬に同情しました。そして改めてじっくり犬を観察してみると、これがまた、とにかく、どんくさい。餌を食べようとしては食器をひっくり返す、骨か何かが喉につまって苦しむ、あげくの果ては、立ち上がろうとして転ぶ。
さて、数ヶ月が過ぎるうちに、老人たちに変化が現れました。どんくささを見るに見かねた老人たちは、毎日犬のことが気になって仕方がありません。上手にご飯を食べれたろうか?風邪をひいていないだろうか?ウンチの状態まで気になります。極めつけは、よろけた犬を助けようと車椅子の老人が立ち上がって歩いたのです。
そうです。ホームの多くの老人が、犬を助けて励ますうちに、どんどん元気になっていったのです。自分が何かをしてあげねばならないという思い、使命感が、元気の源になったのは言うまでもありません。
通常、犬は人に体を触られたり、かまわれることを嫌います。けれどもこの犬は、いくら人に撫で回されても、嫌がったり牙を剥いたりしません。もちろん吠えたことなど一回もありませんでした。実はそういう訓練を徹底的に受けた、れっきとした介護犬だったのです。そして、思わず助けたくなるほどどんくさい、という意味で、老人ホームの本来のニーズにぴったりの、究極に優秀な介護犬だったのです。
「ということで、お前は落合さんに感謝をしながら、日々生きていかなくてはいかんのだよ」
師匠は大いに納得したそうです。
何はともあれ、私は「優秀」だそうです。実に勇気が湧くお話でございました。めでたしめでたし。